菅原道真が、太宰府に流されてきた時、夜な夜な登って都を思ったといわれる山、天拝山。

万葉集ゆかりの植物が植えられ、涼しく、要所要所に道真の詩歌碑がある。

道真は、壮絶な哀しみを謳う漢詩人だった。「菅家後集」を読めば、都を思う哀しみが、素直な言葉で歌い上げられていて、ストレートに胸に届く。そこから、道真の人生に思いを馳せ、どれだけ都に帰りたかっただろうか、と想いを寄せることはたやすい。しかし道真の漢詩や和歌に触れるたび、私は、この、圧倒的な絶望と哀しみの淵に向けられた眼差しを、どうして反転させられなかったのだろうかと、考える。

いかに、それが1000年も前のこと、であったとしても、それを、”時代”で片付けられない切なさがある。

道真は、毎晩空を仰ぎ、祈ったという。

同じこの山の、美しい自然、美しい空、美しい空気に包まれていると、

たとえここが、どこであっても、

たとえ今が、どんな状況下であったとしても、

何にも侵されない自由な自分の心を生きるために

いつのまにか、纏い、守られてきた価値観や枠組み、なんやかやが、窮屈なものに思え、むずがゆくなってくる。

この空の下、

空気の中、

どんな命であっても平等なんだ

それを意識すると、たいがいのことはちっぽけなんだけれど、

けれど…

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