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散歩/Walking with Mave 随想/essay

休校措置と高校入試

まべまべ地方では、今日、公立高校入試の入試が行われています。

今回の一斉休校措置を受けて、まべ地域では、こんなことがありました。

高校入試は、学区制で、県の中でいくつかの地域に分けて、同じ学区の子供たちが、同グループの高校の中から、高校を志願し、受験するというシステムになっています。

それが、今回の一斉休校措置により、まべ地域の学区では、3/2からすぐに休校にした中学と、3/9から休校にした学校にと、同学区内で分かれてしまったのです。

まして、この地域は、都心部とは違うので、最終学歴として高校を受験する子供や、塾に行かずに受験に臨む子供もたくさんいます。そのような状況下、子供たちにとっては、入試までの一週間の学校生活は、とても大切な時間に違いないと、私は思っていました。

今回の休校措置について、感染の拡大を防ぐ、という面で意味があったかの議論は脇に置いておいて、せめて、入試においては、同学区内で、条件を同じにしてあげないと、子供たちがかわいそうだと思ったのです。

すぐに休校を選んだ学校では、まだ、高校入試の対策としてやるべきことが終わっていないという噂も耳にしました。休校になった途端、勉強できなくなったり、不安定になってしまった子も多いとも聞きました。

公立ですから、これは問題だと思いました。なぜ、互いに、同学区内の学校同士で、連携がとれなかったのか。

今回の一連の動きで見えてくる、上のギクシャクした縄張り争いや主権の奪い合いが、このような地方行政にまで波及している現実を目の当たりにした気がして、そのようなあり方に疑問を持ちました。

世の中の、お父さんお母さんの頑張りと、子供たちの健気な姿を見て、なおさらに、その想いが強くなりました。

ところが、1日、2日と経つうちに、他より早く、3/2から休校にした学校の方の、近所の子供たちの変化が目につくようになりました。

道で出会った時の目に力があり、生き生きし出したように見えたのです。

近所のお母さんお父さん方から、このような話も聞きました。受験生たちは、落ち着いて勉強しています。受験勉強に専念できるので、休校になり、かえっていいみたいです。

また、受験生以外のお子さんを持つお母さんからは、こんな話も聞きました。

うちの子は、最初の1、2日は遊び倒していましたが、そのあと、「勉強したいから、参考書を買ってほしい」と、自分から言ってきたのです。こんなこと、今までなかった。と。

子供たちが、おのおの、外から言われるのでなく、自分自身考え始めている…

感動してしまいました。

思い返せば、私も、子供の頃は、自由がほしかった。そして今の自分の根幹を作るものは、自由な時間で学び遊び、試行錯誤考え、得られたこと以外にはなく、学校の授業が、自分に与えてくれたことは思い出せないに等しい…

考える力って、すべて、ゆとりある時間の中から、湧き上がってきていた。

それが、いつのまにか、そんな自分自身も、自由にすれば、みんな怠惰になる、と思い込んでいたことに、はたと気がつきました。

さらに話を聴けば、今の中学生は、毎日の部活の上に、習い事で予定がびっしり。そして、学校では、ゆとり教育の揺り戻しと、大学入試改革による波を受けた大幅なカリキュラムの改編によって、目が回るほど忙しい毎日を送っているとか。

学校の定期テスト前には、病院に、腹痛や頭痛の子がやってきて、ストレス障害と診断されるケースがとても多いんだそうです。

しかも、睡眠時間も平均6時間ほどらしい…

よくよく調べてみれば、今のこの改編に伴う教育システムの議論、そもそも産業界の要請から立ち上がってきたものだとか…

近年、学校現場では、教科の暗記量は倍増しています。カリキュラムにも余裕はまったくありません。がんばれ、文句を言わずにやれ、の、風潮のなかで、子供たちが、余裕と自由を失っては、管理社会を疑問なしに生きる人間が増産されるシステムになってしまいかねないのではないか…キャパオーバーしようとも、ルールには黙々と従おうとする、そんな変化が、子供たちの中に見られるようになった昨今、こんな危惧さえ生じてきてしまいます。

さらには、それと矛盾するように、グローバル社会で活躍する人材養成のため、思考力、表現力、判断力を柱とするアクティブラーニングの実施が目指されていますが、アクティブラーニングは、むしろ、ゆとり教育とこそ、親和性の高いものであり、ゆとりの揺り戻しから暗記量もこれまでの倍以上になった今のシステムでは、子供たちも現場の先生もパンクしてしまうのは目に見えています。

子供たちは、アクティブラーニングに基づく教育指針のもとで、自由に自分の意見を言え、と要求される一方で、筆記テストの時には、大量の暗記をさせられ、細かいミスをすべてはねられてしまいます。”では、どうしたらいいんだ、やっぱり、用意されている以外の意見は言えないんじゃないか!”そんな矛盾のはざまで、現代の子供たちは苦悩しているように、見受けられます。

教育の目的とは、子供たちひとりひとりが、幸せな人生を生きる力を身につけるため。そして、ひいてはそれが、みんなの幸せにつながる社会の実現を目指すため。とかく理想を言うことが敬遠される世の中で、教育に理想がなくなったら、一体どうなってしまうのでしょう。少なくとも、教育を、政治や産業のシステムの下ではなく、学問界と、そして生活者である私たち自身の手に、取り戻さなければいけない。

そんなことを、一斉休校措置のこの一週間の、子供たちの変化を目の当たりにして、ものすごく、ものすごく、考えさせられました。

これまで、当たり前のように受け入れて、乗せられていたレールから下ろされた時に、新しく見えてきた世界がありました。

ごめん、マーベリック。飽きちゃったね。

みんな、今頃、入試、頑張っているよ。

学校によって、条件は違っちゃったけどさ。

どっちがよかったかとか、そういうことじゃなくて、

みんないっぱいいっぱい、考えたと思うんだ。

さまざまな状況において、精一杯考え、乗り越えていく、子供たちみんなを、応援しよう。

そう、たくましく。

きっと、私たちって、私たち自身が思っているより、ずっとずっと、たくましいから。

今、みんなひとりひとりが、普通なら味わうことのなかった、貴重な経験をし、新しいものが見えてきている。

霧の道をマベと歩く。

今はすべてを混沌とさせる霧も、いつか晴れる。

応援してるよ、みんな。がんばれ、みんな。

フレンチブルドッグひろば

作成者: Marple

日本の南で、太陽をさんさんと浴びながら、そこはかとなく暮らしています。
I live vaguely while taking the sun brightly in the south of Japan.

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