百年の孤独

長い長い雨がやみ、マーベリックと外に出た。

キノコ、キノコ、キノコ。いろんな種類のキノコ。

どれだけ長く雨が降っていただろうかと言うことを物語っている。

まるで「百年の孤独」だ。

ウイスキーの銘柄ではなく、

ガルシアマルケスの小説のことである。

その小説の中でも、ある時、長い長い雨が降り続く。

すると、辺りに、オレンジ色のカビが生え始める。

布団にも、床にも、本にも。

挙句にオレンジの粉が舞うように降ってくる。

蝶の鱗粉が舞うように、世界がオレンジ色に絡みとられていく。

それを主人公は、実に淡々と見ているという…

かたや、まべまべ地方。

外にはキノコ。

そしてまべ家の屋根の端っこは、腐って落下した。

なんて長い雨だったのだろう。

雨の間、この町も、「百年の孤独」さながら、キノコの菌糸に絡みとられていたのだろう、そんな想像を巡らせてみる。

菌糸は私たちの社会の、さまざまな“これまで”を、分断し、腐らせ、絶やした。

私たちは「百年の孤独」のように、周りにいつも現れる亡霊に悩まされた。

ひとりが多くなったが、孤独の味はむしろ、ウイスキーのように芳醇で、さまざまな奥行きがある。

その香りを味わいながら、目の前に立ち込める雲の上にいつもお日さまを感じることもできるようになった。

世界のありようを想像することと、希望を持つこととは、よく似ている。そんなことが口を突いて出てくるようになった。

それはきっと、様々なノイズのうちでは気づけなかったことだ。

菌糸は全てを分解し、再生をもたらす。

腐ることは、また次に新しく生まれることであり、

絶えることは、また次に始まることであって、

いつだって、分解者たちは私たちを蘇らせてくれている。

空想はここで途切れ、周りに目をやれば、キノコキノコキノコ。

そしてお日さまを待ち望んでいたのは、虫たちも同じなようだ。

植物たちはどうであろう。

少しの雨なら生き生きと元気になる木々の葉も、今回はひ弱だ。

日差しを受ける体力も残っていないと言わんばかりのひ力さで、震えるように空に手を伸ばしている。

初夏を告げるサルスベリの花も、数少なく、今日は手負いの鳥のように見える。

本当に、空が青いのを見たのは、本当にどれくらいぶりだろう。

目を落とせば、マーベリックが笑っている。

最近のマーベリックと私は、あうんの呼吸なのである。

私が面白いなと思うと先にマーベリックが笑っている。

私が行こうと思うと、こちらの体が動くより先にマーベリックが立ち上がっている。

雨の間、いつも一緒にいたから、きっと、まべと私の間にもキノコが生えたんだ。そして、私とマーベリックとの間の、これまで言葉で曇らされていた障壁が、菌糸によって、しっかり腐らされ、そのあとに、心と心の橋ができたんだ。

そして太陽は、実に淡々と、町を再び乾かしていく。

願うか願わないかに関わらず。まして良いか悪いかでもなく。

混沌とした不安や恐怖もまた、亡霊であろう。

私たちの心に巣食う亡霊を、淡々と、淡々と、キノコも太陽も絶やしてくれる。

淡々と

淡々と

そのことの大切さを、今、淡々と感じている。

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