まもる

オーストラリアが大変な火災に見舞われていて、人や野生動物に被害が出ている。

ブラジルに続いて、また…

野生動物が五億匹、命を失ったという情報もある。その数は刻々と増えて、昨日のニュースでは、十億匹と報道されていた。

人間はもちろん、コアラやカンガルーの悲惨な映像が日々流れてくる。映像はストレートに胸を突き、心が痛む。コアラは絶滅危急種、その他絶滅危惧種に指定されている動物がたくさんいるオーストラリア。原因は、一つではないにせよ、オーストラリアは、この夏、40℃越えの日が続き、記録的な乾燥に見舞われていたという。

これまでに幾度も大きな気候変動があった地球であるが、近年の私たち人類の営みの結果が、気候に影響を与えていることは疑いようがないところに来ている。はっきりした証拠がないからといってこれまでの生活を続けるのか、可能性にかけて改善の方向に舵をきるのか、穏やかな日常の生活を送るうちに、ふっと、そんな分岐点に立たされていると思う。

この状況を一刻も早く何とかしないといけないはずだが、一方で、大統領選を見据えたどこかの国のトップが、非人道的な暴挙に出た。

しかしもっと驚いたのは、日本でそのことに関する報道がなされたとき、「どちらが正義か」という見出しがついているのを目にしたときだった。

どちらが正義か

知らぬ間に、人は、そのような二元思考で世界をとらえてしまう。

味方か敵か、表か裏か。白か黒か。

その二元思考が、人間をひどく無機質な流動体にして、戦いに駆り立ててしまうのだと思う。

土曜の夕方放送されるアニメに、オトナゲもなくいつも突っ込んでしまうのだが、「真実はひとつ」という発想こそ、実はとても危険で、世界はそんなに単純ではない。

古くは「やおろずのかみ」を信仰してきた日本人。”もともと”は世界の多様な在り方を受け入れて生きてきたはず。しかしそれもいつのまにか忍び込む二元思考に知らずにとりつかれ、ゆがめられて解釈されていく。

この、二元思考が世界にはびこる。もとをただせば身を守るための思考と行いであったものであろうが、感情に任せたその無反省な入力が、結果として、戦いの連鎖を出力してしまう。

どこにカエレバヨイのか。

私はいつも思う。それは、命を大切に思う気持ちにだと。

オーストラリアで、野生動物が祈るような格好で火に焼かれていく、あの映像をまともに見られる人間がどれほどいるだろうか。

どの命も、等しく大切なものという気持ちが無条件に湧き上がる、それが人の心じゃないだろうか。

しかしだからこそ、いかなる時も、命を守るという目的が、命を奪うという行為で遂行されてはならない。

マーベリックと山道を、一歩、一歩と歩きながら、中村哲さんの言葉が、頭の中を”こだま”している。

アフガニスタンには、いい人もいれば、悪い人もいる。
だが、それでいいのだ。

森の景色とあいまって、やおろずのかみ(八百万神)を思う。

森羅万象に神が宿る、と古来日本人は思って暮らしてきたのだ。

こんなやさしい心に根差す私たち日本人こそが、いま、世界のイニシアティブをとれると思うのだが。戦争だって、自然環境だって。

暴力や破壊の方向ではなく、迎合でもなく、抗いがたい力に負けるのでもなく、対立ではなく調和をもって。

すべての命が平等に絡み合って生きている地球は、多くの科学者が、このままいったら人類は絶滅すると指摘し、一刻の猶予もないと危惧している中、分断と争いの方向へと時運が流れていく。

中村さんは、こうも言っていた。

私は、人の言葉ではなく、行動しか信じない。

行動だけが、世界を変える唯一だ。しかし言葉は人の思考を無意識に支配する。 どんなモットーもイデオロギーも、言葉は行動の出ばなである。

言葉が思考や行動の親ならば、今、青臭いが、あえて言おう。

戦争、反対。

地球を、自然環境を、全ての命を、まもろう。

No War. Save our Earth,Save all Lives and our Future.

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